SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


自分の表現を持っている人になってネ…!

【3月10日(土)】
今日は集まったメンバーが少なくてチョッピリ寂しい雰囲気です。アハハっと笑って楽しく練習を始めました。受験が終わって久しぶりの参加となった中学3年生に「あまり歌ったことがない曲は何?」と訊ねると「新・愛唱曲集」だということなので、「歌の広場」からスタートです。
19~20小節目の「こんにちは」は最初のソプラノが薄いので、みんなで助け合うことにしました。すなわち、メゾソプラノの人はソプラノパートからスタートして「こんにち こんにちは~」と歌い、アルトの人はソプラノパートもメゾパートも全部歌って「こんにち こんにち こんにちは~」と歌ってください。まぁ「空」の得意技です。

この助け合い、存外みんなの力を高める要素を持っています。ソプラノの音はドレレレレー、メゾソプラノの音はソララララー、アルトの音は低いドレレレレーです。つまり、ドレソラ(低い)ドレと音が移動していく。これを正確に出すのはカンタンではありません。(高い)レからソに移動するのも、ラから(低い)ドに移動するのも、合唱にはよく出てくる基本中の基本の音取りです。だから全部歌うのはアルトの子だけなのですが全員で練習しました。曲を歌えるようにするのが目的なのですが、その裏側にはメンバーの力をいかに高めるかという目論見が常にあります。

今、いいな…と思っていることは、「新・愛唱曲集」にしても「(旧)愛唱曲集」にしても、みんなの中から「自分ならこう歌う」というエネルギーを感じるということです。だから最近の嶋田先生は「こう歌ってください」「ああ歌ってください」という指示をあまり出していません。もちろんそれは、全く指示を出さないというわけではなく、必要な表現は指示しますが、しかし以前に比べると少ないのは確かです。合唱に限らずどんな表現でも、表現する人が「こう表現したい」と思っていることは絶対条件です。先生が指示を出さない、出す必要がないということは、実は素晴らしいことなのです。

「文部省唱歌集」からは「さくら」と「スキーの歌」と「冬景色」と「おぼろ月夜」を練習しました。「スキーの歌」は各フレーズの歌い出しに工夫が必要で、その確認とトレーニングです。残る「さくら」「冬景色」「おぼろ月夜」は、これは嶋田的表現のオンパレードで、学校の授業では絶対にやらない方法論です。だから「こう歌ってください」という指示の出しまくり。しかしこの指示は合唱指揮者・嶋田としては自信のあるもので、書いてある楽譜を書いてあるとおりに再現するだけ…という音楽にはしたくない。

願っていることは、みんなが大人になった時、「自分の表現を持っている人」「自分だけの表現を作ることのできる人」になってほしい…ということです。自分の表現を持っている人はイメージ豊かな人であり、ひいては「やさしさ」や「思いやり」のある人だというのが嶋田先生の人生哲学なのですが、そのロジックについては後日あらためて論を起こす機会を持ちたいと思っています。

「自分の表現」とは何か。今日分かりやすく例えたのは「大きな古時計」です。よく知られている曲ですが、3番「真夜中にベルが鳴った おじいさんの時計」「お別れの時が来たのを皆に教えたのさ」から「今はもう動かない その時計」という部分、これを1番や2番と同じテンポ、同じ強弱、同じ表現で歌う人がいるのなら、その人は音楽が分かっていないと言ってもよく、豊かなイメージを持っていないと言えます。真夜中に鳴ったベルの音は、100年動き続けてきた時計が止まった音であるだけでなく、おじいさんの心臓が止まった瞬間を暗示するものであり、その音を、おじいさんの部屋から微かに響いてきた音を聞いた「ボク」の気持ちを想像して表現するのが「大きな古時計」の核心です。

そんなイメージを膨らませて歌うとどうなるか。その表現には無限通りの正解がありますが、少なくとも1番や2番と同じ表現にはならないということは確実でしょう。

で、それと同じように「冬景色」や「おぼろ月夜」を歌ってほしい。いずれも3番(3回目)がゆっくりになっていって、最後はロング・フェルマータになります。「冬景色」の3番、「もし灯火の」に思い切りクレシェンドをかけて「漏れ来ずば」をピアニシモにして「それと分かじ 野辺の里」を情感たっぷりに歌うことができたらカッコイイでしょうね。「おぼろ月夜」の3回目、「春風そよ吹く」をフォルテで歌って「空を見れば」を「うわぁ~、きれいだなぁ~」という感じの声でユックリ歌い、「夕月かかりて」をピアニシモにして「におい淡し」をユックリのフェルマータ。想像するだけでカッコイイと思います。

思いますが、これは、みなさんに提示する「例」です。無限通りある正解の中の一つに過ぎません。こういう方法もある…ということ。今回、嶋田先生の指示(提示する例)を受けて、みなさんの中に嶋田先生とは別のイメージが膨らみ、「自分ならこう歌う」という「思い」が高まってくれることを切に望みます。

休憩の後、「サウンド・オヴ・ミュージック」の1曲目「グレゴリオ聖歌」を歌ってみました。1・3・5段目を先唱と言い、2・4・6段目を答唱と言います。先唱を神が歌い、それに答える答唱を人々が歌う…というイメージで良いと思います。カタカナを読むのが大変ですが、もっと大変なのはメンバーの中にある「揃えよう合わせよう」という気持ちと言うか本能をブチ壊すことです。揃えようとするからビクビクものです。合わせようとするから緊張感バリバリです。グレゴリオ聖歌は「サウンド・オヴ・ミュージック」に限った話ではなく、全ての曲で「揃えよう」「合わせよう」と思う必要はありません。神の教えに数百万人の人々が答える音楽なのです。教会の中では神父様が神に代わって(神の代役として)歌い、集まった会衆がそれに答えて歌います。その時には指揮者も伴奏者も存在せず、ふんわりと自由に歌います。

キリスト教を信仰しておられる家庭ならすぐに分かります。キリスト教徒にしか分からないかというとトンデモナイ。嶋田先生のような仏教徒(別に仏を信じてはいませんが、知らないけど先祖代々曹洞宗とのことです)でも分かります。お盆や先祖の命日にお坊さんが家に来てお経を唱えるでしょう。その時に集まった皆さんの親戚は、何だかよく分からないお経をお坊さんに合わせてムニャムニャと唱えるでしょう。その時に、お坊さんが指揮をしますか?「さん、ハイ」って言いますか?

お経とか聖歌というものは、指揮や伴奏に合わせる音楽ではありません。自由で良いんです。そういう文化というか音楽というものが、この世にはイッパイ存在するんです。だから、みなさんはカタカナをパッパッと読めるようにすればよい。でも、この「揃えよう」「合わせよう」という気持ちをぶっ壊すの、時間がかかりそうだなあ…。

「グレゴリオ聖歌」に続いて「朝の讃美歌」を歌うと、こりゃまた最高にキレイですね。人数は多くはありませんが一人一人が生きているのでキチンとハモります。最後は嶋田先生もアルトの重低音パートに入って一緒に歌いました。当然指揮はありません。指揮なしの音楽、少しは成長してくれたかな…。

その後は「ドレミの歌」を各パート一人ずつで歌ったり、「全ての山に登れ」のメロディーを確認したり…といった作業をしました。「全ての山に登れ」では提案を一つ。クライマックスの「大切な人生 探し求め 登り行け」なのですが、ここだけ英語で歌ったらいかがでしょうか。「climb evry mountain(全ての山に登れ)」「ford evry stream(全ての大河を渡れ)」「Follow evry rainbow(全ての虹を超えるのだ)」「till you find your dream(君が君の夢を見つけるまで)」という歌詞。「クライム エヴリ マウンテン」「フォード エブリ ストゥリーム」「フォロー エブリ レインボー」「ティル ユー ファインド ユア ドリーム」このくらい覚えられませんかね? カッコイイ歌詞だと思いませんか? 聴いているお客様も、ちゃんと発音すればこのくらいの意味は分かるはずです。あとは日本語でOKということで。みなさん、ちょっと考えておいてください。

もうすぐ受験生が戻ってきてくれます。「空」の冬ごもり期間ももうすぐ終わり。みんなに春が来ます。ガンバロウ。受験生のみんな、あと少し、がんばってくださいね。

【追伸】

今日は夕方、東海メールクワイアーの都築会長の記念パーティーがあり、ビデオ係の嶋田先生はビックカメラの駅西店でSDカードを買いました。「サウンド・オヴ・ミュージック」のDVDも手に入れました。これは来週から、映画を見たことのない子に貸し出しするつもりで買ったのです。店の中では「♪ビーク ビック ビック ビックカメラ♪」という歌が流れまくっていました。このCMソングを録音したのは1年前の今ごろでしたねぇ。まさか、この歌声が合唱団「空」のものであろうとは、お釈迦様でも気がつくめぇ~。

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