SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


課題は多い まだまだ上手くなるぞ

【12月2日(土)】
あの夢のような一日から、まだ一週間も経っていないのだなぁ…と思いながら、久しぶりの音楽プラザに向かいました。湯山先生の「ねむれないおおかみ」あるいは「向日葵の歌」を練習するって手ももちろんありましたが、2年続けて湯山音楽にドップリと浸かった後ですから、「サウンド・オヴ・ミュージック」の中から選曲しようと思っていました。

「サウンド・オヴ・ミュージック」には現在出版されている楽譜が少なくとも2種類(児童合唱用と女声合唱用)存在し、この2つは既に入手済みです。嶋田先生はこの他に30年前に手に入れた青島広志編曲の楽譜(今は絶版です)を持っており、どのバージョンを使うかは大きな問題です。みんなには申し訳ないのですが、さすがにこの日の時点で「この楽譜でいこう」と決断するだけの研究が進んでおらず、だからこの日は女声合唱用のバージョンから「ドレミの歌」をコピーして持っていきました。

ですが、最初にやった練習は、「ド」の音を聴いて「ミ」の音を出す…という合唱の基本中の基本となるトレーニングです。新入団員がいたら、まずこの力を付けるように練習を組むところです。ですが今日は新入団員はおらず、あの「北陸の子ども歌」を歌い切った経験値をもつメンバーばかりですから、「ド」から「ミ」を取ること(レベル1)は全員合格。同様に「ド」の音を聴いて「ソ」の音を取ること(レベル2)も全員が合格です。

しかし「ド」の音を聴いて「ファ」の音を取る(レベル3)、「ド」の音を聴いて「ラ」の音を取る(レベル4)となると、ややグラつきが見られます。一瞬考えてしまう。考えて2~3秒後には正しい音を出せるのですが、実際に歌う時には3秒後に正しい音が分かっても遅いのです。おっかしいなぁ。「さくらえびの海」でも「空と樹海と湖と」でもドファラの和音は何度も出てきて、みんな一瞬で音を捉えて歌っていたのにねぇ。だから、その力はみんな育っているはずなのです。

ですが、改めてピアノで「ド」の音を出して、そこから「ファ」とか「ラ」を取る…ということになると、瞬間の戸惑いがあるのです。

そこで、嶋田浩文作詩作曲の練習曲を紹介しました。「ドレドレドレドレ ドミドミドミドミ ドファドファドファドファ ドソドソドソドソ ドラドラドラドラ ドシドシドシドシ ド(ド)ド(ド)ド(ド)ド(ド)…」※(ド)はオクターブ上 という曲です。これをしばらく続けた後、究極の目標は「ド」の音を聴いて「ファ♯」を取る…と伝えておきました。「ド」の音を聴いて全ての音を取ることができれば、音叉1本であらゆる音が分かるようになります。これは物凄い力で、そんな力を持つ子どもは一般的に言えば(教室の感覚では)バケモノであり、まあそのバケモノ度は自分で披露しない限り友達や先生にバレることはありませんからイジメの対象になることはないでしょうが、その力はフィギュアスケートに例えれば小学生が4回転ジャンプをするようなレベルです。

その後、「ドレミの歌」に入ります。ドッミッミー、ミッソッソー、レッファッファー、ラッシッシーと歌います。その次のドミミ、ミソソ、レファファ、ラシシという部分も歌います。楽しい部分ですが、正確な音程を捉えることができません。ソードーラーファーミードーレーの部分もパーフェクトには程遠い。

この戸惑いがメンバーの中に現れるであろうことは予想していました。実は「ドレミの歌」という曲は聴いている人にとってはメチャメチャ楽しい曲なのですが、歌い手にとっては難曲中の難曲です。「北陸づくし」の方がヨッポド簡単です。

これはどういうことかと言うとですね、画用紙の上に〇が2つ、少し離れた場所に印刷されているとします。湯山先生の音楽はこの2つの〇を筆と墨で結ぶようなものです。誰がどう結んでもビミョーに曲がる、同じ人が2回やっても、2度と同じ線を描くことは不可能です。そのビミョーな曲がりや再現不可能な違いが「味わい」というものであり、湯山先生の音楽を支える生命線です。

「ドレミの歌」の場合、この2つの〇をシャープペンシルと定規を使って寸分の狂いもなく結びつけるような感じです。1回目に結んだ線が15.23ミリだったのなら2回目も3回目も15.23ミリが求められ、15.24ミリで許してちょうだい…なんていう世界ではない、というのが「ドレミの歌」を支える生命線です。

味わいというか、音楽を構成する根本の部分というか、まぁそういうものが違うんです。だから、この練習は、2つの点を墨で結びつける力を存分に身に付けたみなさんが、シャープペンでビシッと結びつける…いわば新しい力を身に付けるスタートラインでもあったわけです。

長々と書きましたが、簡単に言うと「ドレミの歌」や「ひとりぼっちの羊飼い」は一般的に思われているようなカンタンな曲ではなく、ちゃんと歌うためには、むしろ非常にムズカシイ曲である…ということです。それを感じてくれるだけでも今日の練習の意味がある、みんなが来てくれた意味があると伝えておきました。

「ドレミの歌」は新たな課題をみんなに与えてくれます。つまり、みんなはまだまだ、もっともっと上手になることができるということです。時間は有り余るほどあります。オモシロイ1年になりそうです。

最後になりましたが、中3、高3の受験生たち、がんばってください。そんな月並みな言葉しか記せませんが、心の底から祈っています。誰にでも必ず訪れる「時」なのですから、合唱を離れることがあって当然です。みんなが新しい制服を着て戻ってきた時に、少しでも楽しくスムーズに取り組むことができるように、他のメンバーと頑張っていきます。たま~に、勉強で凝り固まった頭をほぐすために「土曜日の数時間を合唱でもやって気分を切り替えよう」などという場にしてもらえることがあるのなら、嶋田先生にとって本当に幸せなことです。

もう一度、がんばってくださいね。

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