SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


「課題を持つ」ということ

【10月7日(土)】

10月に入りました。定期演奏会まで残り2か月。基本的な音取りは終了し、湯山先生の指揮や表現のポイントも分かり、いよいよ1年間で最も面白い(楽しい)期間に入ります。つまり、「どんな表現をみんなで作り上げるか」ということに意識の全てを投入することができる期間ということです。

演奏会が終わった直後、すなわち12月や1月に「表現の練習」をすることはできません。なぜなら、次に歌う曲の音が分からないから、表現よりもまず「正確な音で歌いたい」という思いをクリアする必要があるからです。また、演奏会後に新入団員があれば、その子の「音を聴く耳」や「正確な音を取る力」を育てなければなりません。また、小学生を中学生や高校生のレベルに育てる、すなわち「スーパー小学生」に育てることも毎年考えているわけです。いわば基礎基本を固めるわけですね。12月はいつも、そういう時期です。表現は考えない。

一方、10月11月は、「基本的な力」とか「歌唱能力の育成」といったことは考えません。メンバーが今、持っている力をいかに最大限に引き出して、「どのような表現」を作り上げるかを考えます。表現を工夫する…という意味では最も楽しい作業ができる季節です。

まずは楽譜を配布して日の浅い「アンコール」3曲。いずれも良く歌えていて「ああしろ」「こうしろ」などと言う必要はありません。「山のワルツ」ではP8、4小節目の2拍目のソプラノとメゾソプラノの音が同じソ(G)になることを確認しました。またP9、2小節目の1拍目のソプラノとアルトの音が同じくソ(G)になることを確認しました。1回注意して歌い直せばちゃんと正しい音に修正されていて、それで終わり。頼もしい限りです。

「おはなしゆびさん」も音は大丈夫なのですが、表現を楽しく作る必要があります。「おーはなし する」というフレーズが5回出てくるのですが、それぞれパパ、ママ、にいさん、ねえさん、赤ちゃんに相応しい声にする必要があり、これは非常にムズカシイ。まぁ毎年のことですけれどね。毎年少しずつメンバーが変わるので、今年の「5本の指表現」がどうなるか、楽しみなことです。

「あめふりくまのこ」も音程や言葉の処理は大丈夫。5番のソロを全員で練習しました。3曲とも歌詞を早く自分のものとして、自信を持って歌えるようにしてください。

 

続いて「童謡歌曲集」。いずれも歌詞が長いので、目標を「歌詞に自信をもつこと」と設定し、それだけに集中して歌います。「ひとつの地球」の1番2番3番は、それぞれ「あなたの心」「あなたの痛み」「あなたの笑顔」から始まります。あなたの心をのぞいたら、あなたの痛み(悲しみ)が見えたけれど、最後はあなたの笑顔が見えた。こんな流れがステキです。覚え方の一つのコツですね。

「走れフェニックス」はアクセントが付いている部分をハッキリと歌うように指示しました。

「ねこのマズルカ」は冒頭の「ララララ私の愛する猫は」とラストの「世界で一番アーアーアーアアアアアー可愛い猫」をつなげて歌いました。中間部はぶっちぎって、最初と最後をつなげたのです。この曲が言いたいこと伝えたいことは、「私の愛する猫は世界で一番可愛い猫」ということであり、中間部はその説明なのです。だから説明の部分と「世界で一番可愛い猫」の部分とを同じ歌い方にしてはイケない。最後は感動的な声と表現でなければ。そういう練習をしました。

「ねこのマズルカ」と「白い花火」と「ぞうのこ」は、4小節ずつリレーしていって一人で歌う練習をしました。自分が歌うことも大切ですが仲間が歌う表現を聴くことはもっと大切です。そして、まず自分が歌った表現について自分が自分に何点を付けることができるか考えてもらいました。何点か発表してもらったわけではありません。自分で自分に点数を付けることができるかを聞いたのです。もし、自分で自分に点数を付けることができない子がいるとしたら、それはただノンビリと時間を過ごしているだけで、進歩したりできないことができるようになったり、分からないことが分かるようになったりする時間にはなりません。

自分が70点だったと自己評価できれば、次にそのマイナス30点は何だったのだろう?と考えることができます。「空」で言えば、音程であったり歌詞の発音であったり、もっと明るく歌えば良かったとか強弱の不足とか、いろいろな減点項目があるはずです。それを自分で分かっているかどうかがメチャクチャに大きいことなのです。

これを授業では「課題を持つ」と言います。課題は担任の先生が出すものではありません。自分が設定するものです。この漢字が書けるようになりたいとか、このお話をスラスラと音読できるようになりたいとか、計算を正確にしたいとか、どんな計算式になるのか自分の力で式を組み立てたいとか、そういう課題を持っている子は国語も算数も必ず伸びます。伸びないのは課題も願いも思いもなくただ時間を過ごしているだけになっているからです。

で、「その課題とは何ですか?」と聞いてみました。「発表してください」とは言いません。「あなたの課題は何ですか?」と聞かれた時に「はい、私の課題は音程を正確にすることです」「もう一度歌う時にはもう少し響きのある声で歌いたいです」などと答えることができるかどうか。これにyesと言えるかどうかを聞いたのです。そして全員が「できる」に手を上げました。

ここのところが合唱団「空」の強みというか特色でしょうね。もちろん高校生が設定する課題と小学生のそれとでは内容も難易度も異なるはずです。違っていて良いのです。大切なことは一人一人が「前を向く矢印」になって音楽に立ち向かっているかどうかです。

こういうことを問題にするのは嶋田先生が小学校の先生だからで、音楽の専門家ではないからです。音楽大学出身で専門の音楽教育を受けてきたプロの先生だったらおそらく気にも留めないことではないかと思います。その場で出てくる声や音とは直接な関係はありませんからね。嶋田先生は出てきた声を次にどうしようと思っているか、その「ハート」を重視します。

「歌声よ いのち新しく」では2番の最後「歌声よ広がれ さわやかにそよげ」に思い切りクレシェンドをかけて、コーダの「ああ歌声よ 今生きる子らと」に突っ込む練習をしました。

「妖精のワルツ」は2番の歌詞。水(涙)に関係があるというか、ちょっと沈んだ感じの、色で言えばブルーな言葉が続いています。「悲しい時」「時雨」「涙の雨」「雨ふらせ」「しとしと」などです。つまり2番は、友達の辛い気持ちや悲しい心を思いやる部分なのです。そう理解しておいて3番の「こずえを鳴らして」に突っ込むと、パッと明るい世界が広がりますね。

つまり2番の内容のイメージが確かなものであれば、1番と3番はそれのイメージと反対の世界を歌えば良いことになり、歌詞に対する自信も深まるはずです。

「12の月のうた」は4番の「振る タクト(指揮棒)」が「古田 くと」と聞こえないように。また7番の「大クジラ」が「多く ジラ」と聞こえないように注意しました。その後、この曲も一人で1番全部を歌い、次の人が2番、その次の人が3番…とリレーしていきました。

 

休憩後は「北陸の子ども歌」です。後ろから歌っていきました。

「北陸づくし」のソプラノソロですが、ソプラノメンバーだけでなく、メゾソプラノメンバーにも練習してもらいました。スタートの音が同じだからです。ソプラノだけからソロを二人出してしまうとコーラスを歌うソプラノが不足してしまいます。全体のバランスを考えて決めることができるように整えておきました。

「でんでんがらも」とは「でんでんむし」すなわちカタツムリのことです。だからと言ってカタツムリの心情を思いやる必要は全くなく、ひたすらハッキリと発音するだけでヨロシイ。「まかしょ」とは地引網などを引く時の掛け声です。「エンヤコラ、マーカショ」と掛け声をかけます。「(オレに)まかせろ」という意味があるのかも知れません。「ごんぼう」「むこう」「七草」「焼き芋」の次の「こんぺと豆腐」とは、そのような名前や種類の豆腐があるのではなく「金平糖」「豆腐」という意味と思われます。いずれにしても、この曲に関しては、もうCDは聴かないでください。CDのテンポは速すぎます。上に書いたような言葉を客席にハッキリと伝えられるようなテンポを工夫します。

「加賀の子ども歌」の冒頭「ごりや たんぶり もうする いささの かしらぼ」は、先週も書いたとおり「ゴリ」という小魚(きっと自分が小さいことを悲しんでいるのでしょう。鯉やサメみたいな大魚になりたいと思っているのでしょうか)に対して「たっぷり(たくさん何度でも)申し上げます」と言っているのです。「(あなたは)いささ(という小魚)の頭領(おかしら・親分)だよ」と。

「ゴリさん、泣くなよ。何度でも言ってあげるよ。君はイササの頭領なんだよ。君がリーダーなんだよ」という意味です。

さあ、それで問題が発生します。嶋田先生の責任です。今までの歌い方だと「イササのか?」「知らぼ」と聞こえます。これを「イササの」「頭ぼ」と聞こえるように歌わなくてはなりません。楽譜に書いてあるV(ブレス・息継ぎ)を必ず行い、心の底から「イササの頭領」と思って歌う必要があります。

「遊び歌」の後半、「ございせ きゃれとは 言葉のしなじゃ」「まこと 来いなら 呼びに来る」は巻末の解説にあるとおりです。「いらっしゃい(ございせ)、来てください(来やれ)とは、お世辞(言葉のしな)ですよ。本当に(まこと)来いと言うのなら、(その人が)呼びに来る(はずです)」という意味ですね。キッチリと客席に伝わるように歌いたいものです。

直後の118小節目からのソプラノとメゾソプラノの「そそろや そそろや 一杯そそろ」からのフレーズは「すすろう(飲みましょう)(酒を)一杯飲みましょう」「酒を一杯飲んだらお歯黒(おかがみ)を付けましょう」「お歯黒を付けたら口紅を塗りましょう」「口紅を塗ったら白粉を塗りましょう」「白粉を塗ったら頬紅を塗りましょう」「頬紅を塗ったら赤ん坊を抱きましょう」「赤ん坊を抱いたら(もう一人)赤ん坊を背負いましょう」と歌います。一回もお化粧をしたこともなく、二人も三人も赤ん坊の子守りをさせられる少女の悲哀ですね。

「眠らせ歌」。これも歌詞のイメージ。「子守りみたいな ウザいものは どこにあるだろう」「親に(赤ん坊の親、つまりご主人様)に叱られ 子(赤ん坊に、つまりご主人様の子供)に泣かれ」「人の軒端に(他人の家の屋根の下に)立って(泣きながら夜を)明かす」という意味ですね。

その次の「ねえ おや おや、ねえ おや おや」は嶋田先生の独自の解釈です。これは単なるスキャットで、現代の感覚ならルルルーとかラララーなどの鼻歌と考えるのが自然でしょう。しかし先生は、この「おや」のことを「私の父さん母さん」つまり「本当の親」を意味するものと考えます。他人の軒の下で朝になるまで泣きながら立っていた悲しみを「ねえ、父さん、母さん。私、もう死んでしまいたいよ。家に帰りたいよ」と伝える、心の叫び。ちょっと考えすぎかなぁ。

次は「私の(おらっちゃの)姉さんに(ねねまに)誰が(だりゃ)意地悪をした(かもた)」「春日の小寺の小僧(でっちゃ)が意地悪をした(かもた)」「今度(いまに)来た時には(きたさいが)叩いてやる」「ねえ父さん、母さん。私、つらいよ」

そして「赤ん坊の(ねんねの)寝た間に ご飯を炊いて(ままたいて)」からのフレーズは楽譜の巻末を参照してください。

最後は「赤ん坊の(ねんねの)邪魔な母親は(じゃまあ)花を摘みに行った(はなおりに)」「一本折っては(花を)腰に差し」「二本目も腰に差し」「三本も四本もドンドン花を取って、日が暮れるまで帰ってくるな」という意味になるでしょう。

 

歌詞を覚えることはムズカシイことです。やみくもに暗記するのも方法のひとつかも知れません。ですが、先生は豊かなイメージを持つことで歌詞の意味と内容に対する共感を深めることの方が大切であると考えます。

先生の記述を参考にして、自分なりの「音楽の世界」を構築していってほしいと願っています。

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