SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


愛唱曲集が本当の愛唱曲に…

来週のビックカメラCMソングの歌詞が届きました。全部で5種類ありますが問題はありません。誰が、どのヴァージョンを担当することになっても良いように、全員で全てを練習します。誰もが何でもできるって、本当に素晴らしいことです。まだ3月です。11月の定期演奏会に向けて、音程・発声・和音感覚など、一人一人が多くの力を身に付け、何でもできる子になってくれるよう、力を尽くしたいと思います。

さて、今日は午後に大高イオンで本番がありますから、本番で歌う曲を練習しました。この6曲は合唱団「空」の愛唱曲にしたい…という思いがあり、いつでもどこでも誰でもが歌える曲にしたいと思っています。
いつでもどこでも誰もが…ということも大切ですが、これらの曲は歌うことによって知らず知らずのうちに合唱の基本が身に付く要素が多い曲ばかりです。
2月から練習を始めて、よく歌えるようになってくれました。今日は、合唱の基本…という話は横に置いておき、いかにして楽譜から目を離すことができるか…という話をしました。
「エーデルワイス」の1番を覚えていないという子は一人もいません。覚えているのなら楽譜を見る必要はありません。2番は嶋田先生のくちびるを見て歌うことを指示します。それで歌詞を間違えた子はいなくなりました。ならば、楽譜を見るのではなく嶋田先生のくちびるを見て歌えば良いのです。3番の英語も同じこと。
「ビリーブ」も嶋田先生のくちびるさえあれば大丈夫ということが分かり(なんだか文字だけ読んでいると気持ちの悪い文章になってきました…)、最初の2曲は楽譜を開かないように指示しました。
「花は咲く」は歌詞が長いので、くちびる作戦はやめにしました。リフレインの「花は花は花は咲く」になったら楽譜を見る必要はないことを指示しましたが、中間部は見るか見ないかを自分の判断で決めるということにします。いやぁ、カッコいいですねぇ。自分の判断で決めることができる子。これ、今の学校教育が一番求めている理想の姿なんですよ。
「花は咲く」の歌詞のイメージについては以前の空ノートに記述したとおりです。そのイメージは「私」は死んでいるというもので、震災後に生まれて抱くことのできなかった我が子に対する応援を天国から送る…というものです。この嶋田先生の解釈はかなり苛烈(かれつ=きびしく激しいさま)なもので、もちろん絶対的な自信はありません。
「ちょっと違うだろう」「私ならこう考える」「私には別の解釈がある」と思う子はいますか?と聞いたら、半分くらいの子が手を上げてくれました。
これは本当にほんとにホントに嬉しいことです。自分なりのイメージをもつということは、口で言っても発声練習を重ねてもできるようになることではなく、温かい心と柔らかい感性をもった子にしかできないのです。嶋田先生のイメージを踏み台にして、さらに豊かなイメージを抱いてくれている。いやぁ、嬉しいですねぇ。そのイメージ、いつの日か、酒でも飲みながら、語ってもらいたいものです。
みんなに伝えたことは、その自分のイメージにふさわしい声と表現で歌え…ということです。まだ自分のイメージが確立していないなら嶋田先生の示したイメージで良いので、とにかく自分の心が感じている情景を表現するように約束しました。
「禁じられた遊び」から「空がこんなに青いとは」「未知という名の船に乗り」は、ほぼ理想的な演奏ができています。「この曲スキです」という声も聞こえてきます。ありがたいことですねぇ。

「人間とは何か」は各パートの音を確認し、ソプラノとメゾソプラノ上とかアルトとめ下とかの二つのパートの組み合わせでハーモニーを確認しました。
とても美しい響きが生まれます。ただ、3月25日(土)の出席者が案外と少ないのが心配です。さすがの嶋田先生も20人以下のメンバーで世界的な指揮者を連れてくる勇気はありません。間違っても良いし下手でも良いのです。大切なのは技術ではなく、情熱でありハートなのです。いろいろと事情はあることでしょうが、できれば全員の参加をお願いしたいです。

大高イオンに到着すると、予想以上にウルサイ環境です。お客さんのざわめきや店内放送などが絶えることなく、とてもじゃないですがデリケートな表現を聴いてもらう環境ではありません。しかもステージが狭く、客席のイスが近すぎて、指揮をする空間もありません。
それならば、方針を変えれば良いのです。歌詞を伝えるデリケートな嶋田先生のくちびる(また気持ち悪い話になった)は中止して、楽譜を見るか見ないかは全て自分で決めるように指示を出し、指揮は客席の後ろから最低限のものにすることにしました。

つまり、みんなは事実上、指揮なしで歌うことを強要され、しかも嶋田先生のくちびる(また気持ちの悪い話になった)も、ほとんど見えない…という状況に置かれることとなりました。
しかし、指揮なしでも十分に歌い切ってくれました。ざわめきや店内放送を克服するためにマイクロフォンの助けを借りたとはいえ、元気よく生き生きとした歌声を会場に響かせることができたと思います。
事実上指揮なしで歌い通したということは、みんなの中で音楽が確立しているということであり、これが今回の最大の収穫でした。愛唱曲集が、みんなの中で本当の愛唱曲になったのだ…と思いました。

閑話休題。会場のお客さんの中に偶然、嶋田先生の教え子が来ていました。嶋田先生が教師1年目の時に2年生で担任した子で、5年生6年生の時にも担任となり、3年生から6年生まで合唱部に在籍し、6年生の時には部長を務めてくれた男の子です。もっとも今は41才になっていて、奥さんと二人のお子さんを連れて買い物に来ていたそうです。
彼は、新しく作ることになった合唱団の名前を決める会議に参加してくれたメンバーの一人で(その時は高校生でした)、合唱団「空」の名前が決まった現場に居合わせた人で、他のいくつかの候補名の中から「空」というネーミングに手を上げてくれた人です。
その彼が、みなさんの演奏を最初から最後まで聴いていてくれたことを報告しておきます。

ソーツ先生との国際交流、可能な限りの参加をよろしくよろしくお願い申し上げます。

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