SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


やっぱり「歌」は「心」「共感」だなぁ

今日はビッグカメラのCМソングを少し歌った後、「Mis on inimene?」から練習を始めました。

10小節目から22小節目まで、「私たちはこの身体と心の中に聖なる神を持っていて」という意味の歌詞が3回繰り返される部分。これは、繰り返すたびにだんだん強く歌います。理由は歌詞の意味を考えれば一目瞭然です。

そして23小節目から28小節目まで、「神は自分自身に正直である人を守っている」という意味の歌詞が3回繰り返されます。これは1回目がフォルテ、2回目は全力を振り絞ったフォルティシモ、そして3回目は祈るような清らかさでピアノ。

この3回ずつの繰り返しはカッコいいですね。歌詞の内容もカッコいいけれど、メロディーも全く同じではなくどこかのパートが形を変えていて、その変化で感情の高まりを表現してほしい…という作曲家の意図が明確です。これを表現できたら本当にカッコいい。

この歌詞の内容ですが(以前にも同様の意味の文を書きましたが)、小学生には理解できないことだとは思いません。むしろ、できるだけ若い年齢で考え、理解し、共感すべき内容だと思いますし、既に「空」の子は全員が共感してくれているものと信じています。

この前後に(すなわち冒頭と終結部に)、「人間とは何だろう?」という意味の歌詞が2回繰り返されています。これも、冒頭と終結部では形が少し変わっていて、その変化が「人間とは何だろう?」という問いかけの深まりを表現していると思います。

このようなノートが書けるのは、音程が狂っているとかハーモニーが濁っているとかいうレベルはとっくの昔に卒業していて、歌う人の感情や思いをどう表現するかという高いレベルにあることを意味します。

本当に楽しみなことです。そして、この無伴奏の曲は、「空」の子の和音感覚や音程の正確さを育む上で、大きな財産を与えてくれました。

 

愛唱曲の6曲は、なかなか熱が入りません。どの曲も、よそ行きの感じがして、エネルギーや生命力、表現の強さが感じられません。音程は正確ですしハーモニーもきれいです。言葉の処理も上手で言うことなしなのですが、何だか「半分の力で歌っている」感じがしました。魂ここにあらず…という感じです。

東海メールクワイアーでも同じですが、合唱団「空」でも毎回毎回、集まったメンバーのボルテージが100%全開…ということは有り得ません。カゼ気味の人もいれば来週からの期末テストのことを気にしつつも練習に来てくれた子もいたことでしょう。集まってくれたメンバーには本当に感謝です。

そうは言っても一週間に一度の貴重な時間ですから精一杯の努力をしました。「エーデルワイス」の日本語訳は阪田寛夫先生によるもので、阪田先生は大中恩先生の従兄であり、「サッちゃん」の作詞者でもありますから、この訳詞は信頼できます。メンバーに言ったことは「花」という言葉を「君」「あなた」という言葉に置き換えろという指示で、実際にそう歌ってみました。そして、「エーデルワイス」という言葉を「自分が一番好きな人の名前」に置き換えろという指示も出しました。そうすると2番は次のような意味になります。

エーデルワイス(自分が一番好きな人)

(いつも人々に)ほほえむあなた

(人々の)悲しい心を なぐさめるあなた

遥かアルプスの峰の雪のように

(君よ)永遠に輝いてください

「花は咲く」も以前に書いたとおりです。終結部の同じ歌詞が3回繰り返される部分ですが、「花」は「私」であり、そうすると終結部は次のような意味になります。

私は 私は 私は咲く

いつか生まれる君(の心の中)に

私は 私は 私は咲く

(だって)私は(君に)何を残しただろう

(何も残してあげることができなかったから)

そんなことを伝えながら、エネルギッシュな表現を引き出すために七転八倒した時間になりました。

「空」の子も手慣れたもので、嶋田先生の要求を汲み取り、練習の終盤にはかなり強い表現で歌ってくれました。良かったです。練習をやった甲斐がありました。ありがとうと言いたいです。やっぱり「歌」は「心」と「共感」だなぁ。

そろそろ湯山先生の曲を歌いたくなってきました。来週は、「Mis on inimene?」や愛唱曲が上手くいったら湯山先生の曲にも取り組めるかもしれません。「駿河のうた」と「ドミソの歌」と「北陸のこども歌」も用意してきてくれると嬉しいです

Comments are closed.