SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


「鮎の歌」 熱量とは「人の心に訴える力」

この日は合唱組曲「鮎の歌」に集中しました。もっとも全部で5曲ありますから,1曲に投入した時間は30分弱です。でも,かなり良くなってきたと思います。

前回書いたように,心が解放されていない。楽譜の上の小さな空間でだけ音楽が鳴っていて,文字通り「解き」「放たれた」パワーがありませんでした。

「じゃあ,どうすりゃあ,いいのさ?」と聞かれた時に,「がんばって」としか言えないようでは教師失格です。

用意した答え,指示した解決方法は「激しく歌ってください」でした。

2曲目の「わさび田」から開始した練習は,「もっと激しく」「もっと荒っぽく」の連続でした。みんなの中には,静かな山奥で清らかに流れる水と明るい太陽の光で育つ「わさび」のイメージができていて,まずこのイメージを叩き壊す必要がありました。

「苗を分ける手を刺す針は,水の針」と歌われる,それほど冷たい水に晒されなければならない…。これはかなり厳しい言葉です。詩は続きます。「冷たさよ,水」「寂しさよ,山」は,手を突き刺すほどの冷たさや,心を引き裂くほどの寂しさのことで,そのような環境の中でこそ「真実の強さ」が育つと訴えるのです。

このような言葉を,なよなよと,柔らかく優しく歌っているだけでは,何も伝わりません。

続いて5曲目の「鮎の歌」。

夜明けの静けさから始まって,朝の美しい光が緑の山々に差し込んでくる…。そんな美しいイメージ,柔らかく温かみのあるイメージを叩き壊します。

「川の流れは歌う 夜明けの歌を」とか「歌のこだまを響かせて 朝を告げる」という詩の「夜明け」「朝」は,1日の中の早い時間のことではありません。「生命の夜明け」「生命の始まり」のことであり,みんなと同じ価値を持つ「生命の誕生」のことです。みなさんを誕生させたのは,お父さんとお母さんなのですが,そんなに簡単にピヨ~ンと誕生したのではありませんよ,みなさんは。

「速い瀬を 深い淵を」とは,川の流れの速い所や深い所ではありません。私たち人間が生きる上で邪魔をしてくる悪い運命のことです。あるいは,みなさんもこれまでに感じたことがあるであろう「辛いこと」や「悲しいこと」のことです。

そういうことを乗り越えて,くじけずに,まっすぐに立ち向かうのが人間です。あるいは人間の生き様と言っても良い。みんなだって,辛いことや悲しいことを乗り越えて,今までくじけずに生きてきたのでしょう?

このような言葉を,美しい声・柔らかな表現だけで押し通してしまっては,何も伝わりません。

4曲目「いちごたちよ」。

「いちごハウスのいちごたち」は,日本の子ども。つまり,みなさんです。だから,賑やかな笑い声がいっぱい。1日に3回の食事があり,夜は布団の中で寝て,雨が降っても濡れることはありません(先生もそうだ)。

一方,「野いちご」とは何か。極端な例えですが,戦争が絶えない国や貧困に喘ぐ国の子どもたちと考えます。食事は3日に1回あれば良い方で,夜は固い地面の上で寝て,雨が降れば濡れるがままの,そんな子どもたち。

お金・食べ物・家,そういったことを「幸せ」の判断基準とするならば,確かに日本やアメリカは幸せな国でしょう。しかし先生は小学生の時に見たことがあります。プラネタリウムで見るような,満天の星空を。あるいは透き通った碧い海。今,私たちが見ることができなくなってしまったものは,他にもたくさんありますね。そういったことを「幸せ」の判断基準とするならば,私たちは極めて貧しいと言わざるを得ません。

あるいは心の問題。私たちは「いじめ」という言葉を知っていますが、「野いちご」たちは、それを知らないかもしれません。「えっ?イジメって何?おいしい食べ物ですか?」「イジメという言葉を初めて聞きました。どうやってやるんですか?僕は知らないので、やり方を教えてください」などと、真顔で言うのが(質問するのが)「野いちご」に象徴される子どもたちであるならば、「幸せ」と「貧困」とは一致しないものであると心から思います。

そんな思いを持って歌う声は、必ず熱量を備えます。熱量とは「人の心に訴える力」です。

音だけ正確に取れている…、ハーモニーだけ美しく響いている。そんな演奏は先生の念頭にありません。そんな音なら、コンピュータに任せておけば、人間よりも遥かに美しい音を奏でます。

多少のキズがあっても良い。一人一人が豊かな共感を持った演奏を望みます。

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