SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


一番大きな「力」とは

この日は久しぶりにフェールマミでの練習です。フェールマミにはグランドピアノがありますから,アップライトピアノの音楽プラザではできない練習を必ずすることにしています。

その練習とは,声の「響き」というものを,いかに実感し納得するか…というものです。「空」の団員で,この練習の洗礼を受けていない子は一人もいません。すなわち,グランドピアノのフタを開けて,声の響きで中にある弦を鳴らすという実験(練習)です。

その前に,ちょっとした工夫をしてみました。フェールマミに置いてあったプラスチックの名札を立てて,これをフッと息を吐いて倒そうという練習です。そう,口と名札との距離は50㎝といったところです。1回で倒す子もいれば,3回4回とやってみて初めて倒れたという子もいます。これ,年齢に関係ありません。1回で倒すことができた子も,それは振ったバットにたまたまボールが当たっただけかもしれないですよ。

何を知ってほしかったかと言うと,吐く息には(合唱の場合の呼吸には)方向があるということです。もしも空気(吐く息)に色がついていたら一目瞭然なのですが,残念ながら目には見えません。

浅い呼吸で息を吐くと,フワッと広がって口から空気が出ます。深く,腹筋をしっかり使うと,空気が弾丸のように塊(かたまり)になって口から出ます。同じ力でホッペタを叩いても,団扇だったら痛くないけど,定規だったらとても痛い。団扇は広いけど定規は狭いからです。フワッとした空気では名札を倒すことはできません。

そしてもう一つ,空気を塊にして吐いたとしてもですね,これが名札に当たらなければ当然のことながら倒れません。ところが空気は見えないので,息が名札の方向に向かって飛んでいるか,少しハズレているのかを目で見ることはできません。確認する方法は,名札が倒れるか倒れないか,その事実のみです。

整理すると,名札を倒すためには
(1) 呼吸(吐く息)が広がらず,塊になっていること
(2) 呼吸(吐く息)の方向が目標に向かっていること
ということになります。

これ,よっぽど意識して狙わないと倒れません。そして,繰り返しますが,一発で倒れたからといって「やったね」とは思わないでほしいのです。偶然に一発で当たっただけかもしれませんよ。正確に一人一人の呼吸を調べようと思ったら,一人10回ずつやってもらって,10回中何回倒れたかを記録する必要があります。合宿でやってみましょうか?

今回は,呼吸には方向があるということを知ってもらうのが目的だったので,そこまで追求しませんでしたが,いずれにしてもステージの上でお客さんに向かって歌おうとする時には,このような呼吸の意識があるのと無いのとでは大違いになります。

 

さて,本題の「ピアノの弦を声の響きで鳴らす」という練習です。ピアノの弦はただの針金ですが,響きのある声(音)に反応して鳴るのです。大きい声でも,響きの無い声には反応しません。ちょっとオマケしてちょうだい…というのは通用しない。単なる針金ですから,響きがあるか無いか,それだけが分かれ目となります。

結論から言うと,参加した子全員が鳴らすことができたので良かったのですが,その「鳴り」は微かです。もちろん人によって違います。よく鳴る子もいれば,あまり鳴らない子もいます。これも年齢には関係ありません。

大切なことは,「もっとピアノを鳴らせるようにしたい」と思って練習に来てくれるかどうかです。できれば「嶋田先生に勝ちたい」と思ってほしい。そういう「気持ちを育てる」ことや「心を育てる」ことって,方法なんかないんですよね。本人が「なりたい」と思うかどうかが全てであり,先生はグランドピアノを使って,その仕掛けをしたに過ぎません。

補足ですが,よく鳴った子は「やったね」と思わないでほしいし,あまり鳴らなかった子はガッカリしないでほしい。どういうことかと言うと,この日に使った音はレ・♭ミ・ミの極めて限定された音であり,もう少し高い音にすればビックリするほど鳴らすことができるであろう子は絶対にいるはずです。もう少し低い音なら…というのも同じ理屈であり,だからソプラノからメゾソプラノ,アルトまでのパートがあるのです。

「呼吸」の話と同じで,正確に一人一人の「響き」を調べようと思ったら,一人ずつドレミファソラシド全部の音でどのように鳴ったかを記録する必要があります。合宿でやってみましょうか?

時間が無限にあったなら,呼吸のこととか響きのこととか,一人一人の「力」を入念に調べてカルテを作り…,ということをやりたいのですが,そうすると肝心の曲の練習ができません。限られた時間の中で,いかに効率的に一人一人の「力」を伸ばすか,そのことをいつも考えています。

しかし,みなさんが「合唱の呼吸というものは普段の生活の中で息をするのとは違う」「合唱の響きというものは普段の生活の中で声を出すのとは違う」ということを納得し実感してくれるのならば,それが一番大きな「力」と言えるかもしれません。

 

さて,曲の方は先週に引き続き「きみは鳥・きみは花」と「かもめの歌」を歌いました。先週やり残した「かもめの歌」後半もさらうことができ,2週間で難曲2曲をだいたい通すことができました。

呼吸・響きを含めて,音程・和音・音を聴くなどの基本的な「力」があればこそ,このような効率で「曲を自分のもの」にしていくことができます。やはり前に書いた基本練習は大切ですね。

ここでは,この日に説明した「きみは鳥・きみは花」の歌詞について記します。

「きみは鳥・きみは花」の登場人物は2人か3人か,どちらでも良いですし,作詞者の川崎洋は既に故人ですから正解は分かりません。大切なことは「私はこう思う」「ボクはこう考える」というイメージを,みんなが持っているかどうかです。

詞の中の鳥も花も,もちろん人間です。そして,少し落ち込んでいる人だと思うと良い。くじけそうになっている友達…というイメージです。鳥はレギュラーになれなかった鈴木君であり,花はテストの点が悪くて泣いている山本さん…で良いと思います。

 

登場人物が,花と鳥の2人であるとイメージするならば,以下のようになります。

花の言葉 「たとえばきみは鳥」「鳥には羽根がある」「きみは夜明けを待ちわびる鳥」
鳥の言葉 「たとえばきみは花」「花には美しい色がある」「きみは日の出を待ちのぞむ花」
花の言葉 「光はじける朝」「鳥が飛び立つように」「きみは飛べ」
鳥の言葉 「光はじける朝」「花が咲き初めるように」「きみは咲け」

と,このようにお互いを励まし合っているわけです。君には翼があるよ,君には美しい色があるよ,泣かないで。がんばるんだ,君は自分の才能と自分のすばらしさに,自分で気が付いていないだけなんだよ。という心情でしょうか。

そして終結部は,鳥と花とが「同じ時代に,同じ星に,はばたく我ら,つぼみをひらく我ら」と手を携えて未来へ(金色の光の方へ)向かっていく…。

 

登場人物が3人であるという考え方は,花(山本さん)と鳥(鈴木君)ともう1人,私がいるというものです。そして私は,山本さんには「たとえば きみは花」「花には美しい色がある」「きみは日の出を待ちのぞむ花」「光はじける朝」「花が咲き初めるように」「きみは咲け」と励ますのです。同様に,鈴木君には「たとえば きみは鳥」「鳥には羽根がある」「きみは夜明けを待ちわびる鳥」「光はじける朝」「鳥が飛び立つように」「きみは飛べ」と勇気付けている。

「同じ時代に,同じ星に,はばたく我ら,つぼみをひらく我ら」は私を含めた3人で未来へ向かうことになります。このイメージは,最後に,花と鳥が私に向かって「そして君には,君の竪琴がある」と私のことを励ましてくれることになり,最後の2行に特別な意味が出てきます。「竪琴」とは「歌う力」と読めますし,「思いやり」「優しさ」とも読めます。

 

この二つのイメージ,どちらが正しいかを論議することは全く意味がありません。みなさんが「こう思う」「こう感じる」と思った方が,みなさんにとっての正解なのです。

不正解…というものがあるとするならば,それは「どっちでもいいや」「考えるのがメンドクサイ」などという感性しかない人のことを言うのかもしれませんね。

Comments are closed.