SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


「共感」という力を磨こうとする時、
湯山作品ほど効果的な歌唱教材はない

一人一人の声を見る(診断する)のはこの日まででだいたい終了し、新しい曲を理解することを中心に練習を進めていきます。ただ、まだ新しいパート編成を発表することはできません。そこで、全員が全てのパートを全部歌えるように進めました。その上で、ある時はアルトを歌ってみてある時はソプラノを歌ってみて、その選択は任せるから、一人一人がいろいろと自分を試してみるように…と、かなり高度な要求を出しておきます。

実はこれ、とっても大事なことでありまして、合唱を組み立てるのみにとどまらず、人生の様々な場面で「自分自身が自分のことを知っている」ことは、嶋田先生に言わせれば、即「その人の人間力」に直結するのです。つまり、進学する、就職するといった場面で、進路担当の先生からアドバイスをもらうのは当然ですが、それ以前の前提として「自分は普通科なのか商業科なのか」「理数系に向いているのか文化系に向いているのか」といった自己分析や「自分は学校の先生になるんだ」「福祉関係の仕事が向いている」といった人生選択の基準がなければ、進路担当の先生の言うがままということになってしまいます。

もちろん合唱団「空」では、最終的には嶋田先生が「あなたはこのパートをお願いします」と決めていくのですが、自分が向いていると考えるパートと決められたパーとが一致するのが最善として、その上で「全体のチームバランス上、このパートを担当することになったが、やろうと思えば自分は他のパートでも大丈夫」という自信のようなものを、ぜひ持っていていただきたい。そういう自己確立というか、自分を知っているということの大切さを、「空」という場で、合唱という種目を通して、実感していってほしいなあ…と願っています。

で、全部のパートを全部音取りをして、何回も繰り返してハモらせる…という形になった。曲は5曲目の「鮎の歌」。この曲、名作中の名作です。まず「川の流れは歌う、夜明けの歌を。薄紫の霧の煙を上げながら」というフレーズを歌います。ソプラノ、メゾソプラノ、アルトの順で全部。その上で3回ハモらせる形を取れば、全員が1回は各パートを歌ってハーモニーを感じる場を設けることができます。非常に自然な和音構成の部分なので、すぐに理想的なハーモニーを作ることができました。そうすると次のレベルの話をしないと退屈です。

2番は「川沿いの町。霧にぬれてる山の町」という歌詞で音形は全く同じなのですが、歌い方を全く変える必要があると説明します。歌い方を変えるのは、歌詞が違うからなのです。そして歌詞の奥にあるイメージも違うからなのです。1番は「空の色はまだ群青色。東の空だけがオレンジ色」2番は「空全体が真っ青になる」。つまり、時間的な経過がある…ということです。1番ではまだ見えていない山間の町並みが、2番ではくっきりと見えてくる…そういった情景を描く声と表現の変化。歌いながら、こんな話を続けていきます。続けていくうちに、少しずつ表現に変化が生まれ、「鮎の歌」そのものに対する意欲が高まってくることを膚で感じることができることは、先生としても非常に嬉しいことでした。

狩野川の本流に注ぐ流れは、まず猫越川。そして火の沢川。次に船原川があって、二の小屋川があって、皆沢川があって、ずいぶんと上流に吉奈川があって、いちばん上流に桂川がある。それらの川が集まって狩野川という本流をつくるのですが、実はそれらの川の水の匂いは全部違うらしい。人間には分からない匂いというか水の香り。その微妙な匂いを嗅ぎ分けて、鮎という魚は自分の生まれ故郷の川にもどってくる。猫越川で生まれた鮎は猫越川に、桂川で生まれた鮎は桂川に必ずもどってくる。そういう能力を「帰巣本能(きそうほんのう)」と言って、絶対に間違えない。これ、科学的に実験した人がいて(科学者ってヒマだなあ…などとジョークも交えて)、Aという川で生まれた稚魚を捕まえて背ビレにAという目印を付けておく。そしてBという川で生まれた稚魚を捕まえて背ビレにBという目印を付けておく。その稚魚がいったん海へ下って、そして大きくなって戻ってきた時、ほとんど全ての鮎が生まれた川の目印を背ビレに付けていたというのです。そんな事実と、そこから発生するイメージと、そのイメージを支える表現について、もちろん音程や声の使い方を交えて話をしていくと、2時間などという時間はあっという間です。

名古屋の、ある大人の混声合唱団は、コンクールでも全国クラスの成績ですが、練習は発声、音程、ハーモニーの正確さを磨くことが中心で、歌詞に対する理解やイメージの想像などには1秒も時間を使わないそうです。なるほど、コンクールで美しい音楽を創造するためには「音」が全てであって、イメージや想像や共感などはステージの上の合唱団員の頭の中にあるものですから、実際の「音響」とは関係がない。その方法論を否定する気は毛頭ありませんが、嶋田先生は少なくとも、子供を使ってテクニカルな音響の世界を作る気にはなりません。

子供には「育まれるもの」が必要であり、それは「共感」という力です。「共感」という力を本当に身に付けた子供というものを育てることができたならば、その子は友達の心にも世界の人々の心にも共感することができるはずで、つまりはイジメなど決してしない、どんな形であれ世の中の役に立つ人材になってくれると信じるからです。そして、その「共感」という力を磨こうと考える時、湯山作品ほど効果的な歌唱教材はないと思います。嶋田先生の36年の合唱経験からの分析です。

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